絵本といっしょに ~ちょびっとクラブ~

絵本をこよなく愛するメンバーによる、良質な絵本を楽しむクラブです。メンバーのひとり、Kの日々思うこと。

ステイホームのスローガン

夫がユーチューブで熱心に観ているものがあります。ステイホームを訴える、有名な楽曲の替え歌です。特にお気に入りの曲は何度も聞いて、感傷に浸っています。

残念ながら、私は彼の気持ちに寄り添い、感動を分かち合うことができません。(曲と映像自体はクオリティが高いものが多く、純粋に楽しめますが。)

私にとっては、ステイホームがそれほど苦痛ではないからです。むしろ、積極的に外へ出よ!というプレッシャーを感じなくて済むので、大変気が楽です。

 

緊急事態宣言が出され、不要不急の外出の自粛が求められてほっとしている人々が、皆が思っているより大勢いると思います。

彼らは今だけは「外に出よ!」「社交的になれ!」と強要されることなく、心穏やかに日々過ごしていることでしょう。(中にはせっかく飲み会の類いがなくなったのに、オンライン飲み会が増えて、逆に逃げられない!というような悲鳴も聞こえてきますが…)

 

しかし、人と会うことによって元気をもらえるタイプの人、集団での関わりの中でより良く育つ子どもたちにとっては、長引く「軟禁」は、非常にストレスフルなものだと思います。

そこで声高に「ステイホーム頑張ろう!」と叫ぶ必要があるのかもしれませんが、もともと籠ることが好きな人間にとっては、頑張ることでもなんでもなく、それを冷ややかな目で眺めてしまっています。そしてこう思うのです。

「そんなに感傷的に気持ちを押し付けないで。何でも自分と同じように感じたり、出来たりすると思ってほしくない。」

 

今までは自分の方が至らないのだと肩身の狭い思いをしていた。しかし、自分たちの側の人間にとって快適な状況になった途端に、自分たちに過剰な要求をしていた人たちにとっての「普通」と自分たちの「普通」が重なっていなかったことを知る。そしてこの肩身の狭さは、それによって起きていた摩擦に過ぎなかったということに気付く。

往々にして、自分たちの方が少数派だったから、相手の方が声が大きかっただけ。

このようなことが起きているのではないかと思います。

 

相手との立場の違いを知り、それを尊重する。

ひとり心静かに過ごすことができる一方で、それぞれの立場により、明暗がくっきりと分かれてしまっている悲しい現実も見えるようになってしまいました。

さらにそのような状況の中、さらに傷口に塩を塗るように、見当違いの攻撃を繰り返している人々も出てきました。

ステイホームをしていても、内省的な時間を過ごす物理的、精神的余裕がないなんて…

先ほど書いた「相手との立場の違いを知り、それを尊重する」という、シンプルで大切なことはどのようにすれば実現できるのだろうかと思います。

 

子どもたちは大人の態度を空気のように吸って育っています。「教えた」ことはちっとも身に付かないのに、私のものの考え方、世の中に対する態度は、声に出して伝えてもいないのに、いつの間にかそっくりそのまま子ども自身のものになっていることに気付き、ぞっとすることがあります。

「相手との立場の違いを知り、それを尊重する」

ステイホームで親の言動が子どもたちの目に触れる機会が多い今こそ、大人としてのあり方が問われているような気がします。