絵本を読めない大人たち
以前、ちょびっとクラブ参加者の方にお配りした通信で取り上げたテーマですが、今、また改めてこのことについて考えてみます。
出版物に占める絵本の人気の高さに比例して、様々な人が絵本を読み、その感想を目にする機会も多くなっています。
ロングセラー絵本ともなると、多くの人が感想を寄せています。そして、概ね高評価なのですが、中にはとても低い評価をしている人もいます。
そこで気になって、その感想をじっくりと読んでみます。
すると大体3つのパターンに分かれます。
ひとつは、対象年齢を全く無視しているものです。
例えば、赤ちゃんに4~5歳向けの絵本を読み聞かせ、「興味がなかった」と結論付けているようなケースです。
それから、ロングセラー絵本だけど、ウチの子は興味を示さなかった、というケースもあります。子どもの興味はそれぞれですし、読む時期によってもその時々に抱く感想が違うことはよくありますから、そのようなことはあるでしょう。
それら2つのパターンは置いておくとして、ここで話題にしたいのは、もうひとつのパターン、その絵本を読んだ大人が「絵本を読めていない」と言わざるを得ないようなものです。
それらにもいくつかパターンがあります。
・ファンタジーを読んでいると分かりつつ、現実的な視点を盛り込む。
・比喩表現を理解できない。
・文化的な背景を無視し、自分の所属する文化の基準でジャッジしている。
だいたいこんなところでしょうか。
一時期、昔話を現実的視点でジャッジして楽しむというような風潮がありました。
大人たちの間だけではなく、小学生向けの書籍でもそのようなものが流行しました。
比喩的表現によって形作られた物語である昔話をこのように読むと、たちまち突っ込みどころ満載のギャグのようになってしまい、文学的な深みはすっかり薄れてしまいます。
しかし、これは大人の読み方です。
昔話やファンタジーにとって、子どもは大人よりも優れた読者である場合が多いと私は思っています。
(そのことを具体的に紹介した記事はこちらです。↓)
ところが大人になるにつれ私たちは子どものように読めなくなってしまうようです。
しかし、それをできるだけ遅らせたり、「読める」能力の一部を保ったままにしたりすることはできます。
その方法として考えられるうちのひとつは、とてもシンプルな方法です。
それは、子どものうちに、優れた絵本や昔話などにたっぷりと触れることです。
絵本が登場する以前は、世界中でさまざまな形で子どもたちへ昔話が語られていました。
残念ながら、現代社会ではそのような機会が極めて珍しくなってしまいましたが、その代わりに絵本という優れたツールが登場し、長い年月を経て発展してきました。
私たちは昔話を諳(そらん)じる代わりにそれらを使って子どもたちに物語を伝えることができます。
そして、その目的を達するために選ぶ絵本としては、長い間子どもたちに愛され読み継がれてきたロングセラー絵本、定番絵本をお薦めします。(これはなぜロングセラー絵本、定番絵本を選ぶと良いかという問題の答えにもなります。)
悲しいことに、冒頭に書いたように、単なる好みの問題を超えてそれらのロングセラー絵本の良さが全く分からない、つまり絵本を「読めない」大人というのは存在します。
私はそのことを大変もったいないことだと思っています。
なぜなら、「物語を読み取る」という行為は、人間の生き方そのものにつながるものだと考えるからです。(詳しい話はまた別の機会に…)
絵本を読めない大人が、評判の割にはこの絵本良くないな、と思って、子どもにそれ以上勧めないというのは、その分、子どもが「名作」に触れる機会が減ってしまうことになります。
まずはロングセラー絵本、定番絵本を勧めるのは、もちろんそれを多くの子どもたちが面白いと感じるからというのが一番の理由です。
しかし、以上のように、子どもたちに物語を読み取る力を育むための助けになってくれるからというのも理由のひとつです。
まあ、あれこれと理由を述べなくても、単純に、物語の持つ面白さというのが分からないのはつまらないだろうなと感じます。
名作絵本を「大人の感覚」でつまらないあるいは良くないとジャッジした人も、もう一度その名作絵本を手に取り、何度か繰り返し読んでみてくれないかな…と秘かに願っています。