絵本といっしょに ~ちょびっとクラブ~

絵本をこよなく愛するメンバーによる、良質な絵本を楽しむクラブです。メンバーのひとり、Kの日々思うこと。

読みかたりとポテサラ


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しばらく前に「ポテサラおじさん」というのが話題になりましたね。

自分が今まで関わったことがない事柄について、たいしたことではないと決めつけ、それをそのまま不躾に相手に伝えてしまう人というのがなぜかいます。(ところで、「ポテサラおじさん」については、高齢男性の孤独など、他の社会問題も含んでいそうですが、分かりやすいたとえとして使わせていただきました。)

例えば、保育士の仕事について、「子どもとただ遊んでいるだけの簡単な仕事」という人がいます。

ちょっと想像力を働かせたら、あんなに大変な仕事もそうそうないと分かりそうなものですが、今までの自分の人生において、全く交わることのない世界だった場合にそういった想像力が働かない人というのが一定数いるようです。

 

私は色々な所で読みかたり活動をしてきましたが、「読みかたりなんてヒマなおばさんたちがただ好きで絵本を読んでいるだけのラクなもの」という意味合いのことを言われたことがあります。読みかたり活動をしている私がその場にいることを知らずに発せられた意見でした。あまり本が好きそうではないやや年齢高めの中年男性によるものでした。

この方が読みかたり活動の奥深さや計り知れないほどの「教育効果」へ思いを馳せるのは難しかったのだと思います。おそらくそのような世界に今まで携わったことはないでしょうから。

 

ところが、私は読みかたりや読書活動、子どもへの教育に多大な関心があるはずの学校の先生、保育士、図書館担当の県や市の職員といった人々の中でも読みかたり活動に対してどの程度理解しているのかと考えた時、案外、軽視している人が多いのではないかと思えてなりません。

 

「ヒマなおばさんたちがただ好きで絵本を読んでいるだけのラクなもの」この視点はしかしある意味大切でもあります。

そのような「ユルさ」こそが、読みかたり活動の価値をむしろ高めるものとして機能している面もあります。

つまり、日常的で肩肘張らないものであるからこそ、子どもたちの生活の中に自然な形で関わることができるのです。そしてそれこそが計り知れない「効果」をもたらすのではないかと考えています。

 

ところが、その「ユルさ」の背景には、子どもの発達段階に対する知識と、絵本に対する洞察が必要です。発音、発声に対する最低限の技術、絵本を見やすいように支えられる程度の筋力もしくはそれに代わる工夫、そのようなものも必要になってきます。

しかも、読み手の感情もかなりの部分、聞き手に伝わってしまうものですから、それらを「楽しんで」やらなければなりません。

 

絵本や子どもに縁のない人がその様子を見て「絵本を読むなんて楽チンだな」と思う分にはまだ良いですし、ある意味「成功」なのですが、果たして先に挙げたような人々の目には、そのユルさの向こう側にあるものが映っているでしょうか。

最近はほとんど見かけなくなりましたが、ほんの数年前までは、小学校で読みかたりをしているすぐ傍でノートの丸付けをしたり、声が筒抜けの廊下で子どもを指導したりする先生が少なからずいました。

自分が授業をしている時に同じことをされたらどう思うか、ちょっと考えたら分かりそうなものですが。

私たちはこのような雰囲気を変えられるだけのものを持たねばなりません。

 

労働形態の変化により、乳幼児を育てながら働く母親が増え、親たちが幼稚園などで絵本の学習会を開くような機会は一世代前に比べると確実に減っているかと思います。

ですが、読みかたり活動に興味を持つ人は、幸いなことに年々増えてきている気がします。

その入口は、広く、低いものであってほしいと思います。

しかし、子どもと出会い、絵本と出会ううちにその深みへと進んでほしいと願っています。

そして、周りの先生や関係者の方々にもその魅力と必要性が伝わるような活動となり、子どもたちの健やかな育ちを応援できるようになってほしい。私もそのために努力していかねばと思っています。