絵本といっしょに ~ちょびっとクラブ~

絵本をこよなく愛するメンバーによる、良質な絵本を楽しむクラブです。メンバーのひとり、Kの日々思うこと。

『たのしいぎろん』(3)

議論の話、思いの外長くなりつつあります。

(1)では議論ができない人がいるという話を、(2)ではその特徴を整理してみました。

今回は、それをさらに詳しく分析して、議論ができる人になるためにはどうすれば良いかを考えてみたいと思います。

 

ここからは話が少し推測の域になります。

 

議論ができない人は、日頃から自分の思っていることや考えていることを相手に上手く伝えられないのではないでしょうか。

それどころか、その中には日常の些末なことでさえ、相手に伝えること自体をやらない人がいるのではないかと思ってしまいます。

察してほしい、だけど気付かない相手に苛立ちを覚えたり、逆に頼まれもしないのに先回りしてやってあげたり…

そのようなコミュニケーションが当たり前の状態だと、自分の考えや意見を言えと言われた時、上手く言葉にできないかもしれません。

 

それから、自分より立場が上とされる人のいうことに従うのが当然、という意識が身に染み付いている場合も、議論はできないでしょう。

このような場合、物事を論理的に考える習慣を身に付けるのは難しいことです。「上に従うのが当然」という姿勢が出来上がっている状態では、不平不満を抱くことはあっても、それがなぜおかしいと感じるのか、ということまでは考えられなくなっていると思われます。

つまり、仮にある物事に対して反対の意見を持っていたとしても、感情的な価値基準でしか判断していないのです。ですから、それに対しての論理的な説明ができず、感情的・感覚的なことを示すことしかできないのです。

その人自身の気が強かったり、立場が強かったりする場合は、怒りの感情を示し、相手を威圧する。一方、弱気になっていたり、立場も弱いと判断したりした場合は、諦めて沈黙する。

 

議論ができない人の議論ができない訳は、このように一朝一夕に作られたものではなさそうです。長い間の習慣がそうさせているのですから、こちらがいくら頑張っても簡単に話が通じるわけがないのです。

 

それでは、先ほど挙げた習慣を変えれば議論ができる人になれそうです。

逆の習慣を書いてみましょう。

 

・日常的に、自分の考えや意見を表明する。思っていることや感じていることを伝えるところから始める。

要するに、こちらが言わなくても相手は分かるだろうなどというやり方に頼らない。(しばしば言わなくても分かるだろうがエスカレートして、こちらが言わなくても相手は察するべきだ!になりがちではないかと思います…)

 

・まずは家庭という小さな社会の中で、誰でも自分の考えや意見を感情的にならずに伝えられるようにする。

さらに、人間社会にある上下関係を意識する。できる範囲でそれが本当に必要かどうかを考える。例えば「子どもは親の言うことに従うべき」という価値観は本当に正しいのか、などということを考えてみる。

 

議論ができない人が、自分が議論ができないことに対して困り感を抱くシチュエーションは滅多になさそうです。自分から変えたい!と思わない限り、変わるのは無理でしょう。

なので、ここは子どもたちに期待しましょう。

議論はより良い解決法を見出だすための建設的な行為です。議論ができなければ、世の中がより良い方向に向かうことも難しくなります。

先に挙げた2つの習慣が、ぜひ子どもたちに伝わっていくように意識して生活していけたらと思います。