絵本といっしょに ~ちょびっとクラブ~

絵本をこよなく愛するメンバーによる、良質な絵本を楽しむクラブです。メンバーのひとり、Kの日々思うこと。

『たのしいぎろん』(2)

前回は、議論が成立しない状態についての話をしました。今回は、なぜそのようなことが起こるのかということについて考えてみます。

 

議論にならない態度として挙げた2つをもう一度確認します。

①「勝つ」ことを目的とする。自分の意見を通すために、威圧的な態度を取る。

②「負け」を感じて、自分の意見を押し殺し、沈黙する。

書いていて、ただのケンカじゃないかと思ってしまいました。

議論を始めようとしているのに、ケンカをしてしまう。つまり、コミュニケーションの一手段としての「議論」というものが全くインストールされていないということかと思います。「議論」という言葉は知っているのに、その中身を実は全く知らないのだなと気づきました。

 

そして、①と②は正反対のようで実は表裏一体の態度です。各人の性格により、常に①、または常に②の態度を取る場合もあるかもしれません。あるいは、その時々で相手に合わせて①もしくは②の態度のどちらを取るかを決める場合もあるでしょう。

議論ができない人にいくら質問しても、明確な答えが返ってこないのも無理もないなと思います。基準がそもそも議論の中身ではなく、相手との力関係にあるのですから。

 

そう考えていくと、彼らにはそこで取り上げられている問題についての自分の考えや意見というものが、元からないのかもしれません。あったとしてせいぜい、自分が嫌かそうでないかというくらい。論理的な思考の末に導き出された意見があるならば、それを相手に説明すれば良いだけの話です。

それができないということは、感情的な価値基準と、論理的な思考を区別する習慣がないためにそうなっている可能性も考えられます。

 

この議論ができない話、意外と複雑なようですね。

まだ続きます。