子どもにメッセージを送る人へ
最近、子ども向けの媒体で、少し問題のある文章が発表されてしまい、あちこちから非難されるという事態が起こりました。
そのメディアは、すぐに、筆者からの真摯なお詫びのメッセージを掲載し、良い感じに収まったのですが、子どもに向けて何らかのメッセージを発信する場合は、大人に向けるよりも一層気をつける必要があります。
なぜなら、大抵の子どもにとって、大人の発言にはどこか絶対的なところがあり、ダイレクトに素直にメッセージを受け取ってしまうからです。
決して「この人も色々と大変なのね。まあ、私とは考え方が違うけど」などという捉え方はしません。たとえ違和感を感じたとしても、それをばっさりと切り捨てるようなことはできないのです。…仮にできたとしたら、その人はもう「大人」と言っても良いのかもしれません…
子どもへ向けて、何の配慮もないメッセージを投げかけて、その受け止め方を子ども任せにする大人は怠惰だと私は思います。
タチの悪いことに「子どもが様々なものに触れる機会を奪うな」などとうそぶいて、子どもへ手渡すには不適切なメッセージを含むものを子どもへそのまま渡すことに何のためらいもない大人もいます。
彼らは「様々なものに触れることによって、子どもがそこから自分で選別し、批判精神を身につける」と言います。
いったい、何歳位の子どもを想定してしゃべっているのでしょうか…
あなたは生まれた時からその冷静な批判精神というものを身に付けていましたかと聞きたくなります。
有名な話でこのようなたとえ話があります。
ある父親が、幼い息子を机の上に立たせて、その後ろに回ってこう言います。「さあ、目を閉じるんだ」。息子は目を閉じます。父親は「後ろへ倒れなさい。パパが受け止めてあげるから。」と声をかけます。
息子は倒れ落ち、したたかに背中を打ちます。「パパ!どうして僕を受け止めてくれなかったの!」父親は答えます。「この世では実の父親だって信じることができないと学ぶためだよ。」
私自身を振り返ると、小学生時代には「批判的な」子どもだったと思います。
しかしそれは、学校での学習内容に限られていたような気がします。
昔は、良く言えばおおらかだったのか、先生が明らかに間違った内容を教えることがありました。
私はすぐにそれに気付くのですが、同級生たちはあまり疑問に思わないのか、誰もそれを指摘する人はありませんでした。
私は何がどう違うのか、冷静に論理的に指摘する技量はまだ持ち合わせていませんでしたので、自分の思う通りに発表することによって、その間違いを指摘しようとしていました。
ところが、先生は最初から大きく勘違いをした状態で授業を展開しているため、私の解答は単なる間違いとしか見なされませんでした。その度に悔しい思いをしたものです。
以上は、学習内容についての子ども時代の私の「批判的な」態度です。
学習内容については、それまでの積み上げですから、ある程度自信があります。そのため、ここまで考えることができたのだと思います。
しかし、筋道立てて先生に反論・説明するまでには至っていないのです。そのためにはもう少し語彙力や論理的に話をする技術が足りませんでした。
客観性があり、自分の方が正しいと自信を持って言える物事に対してでさえ、子どもの力ではこの程度なのです。
ましてや、主観的に様々な見解があるような道徳的な物事や、多様な価値観による考え方に対して「おかしい」「間違っている」と子どもが感じても、それを表現できるか、そもそも自信を持ってそう思えるのか、冷静に考えてみてほしいと思います。
加えて、多くの子どもたちには家庭環境の外に出ていくまでに「大人の言うことを聞く」という基本姿勢がインストールされています。
それは生まれながらに大人の養育を受けなければ生きていくことができないという身体的状況も関係していますし、ヒトとしての社会的な振る舞いを身近な大人からの模倣によって学ぶということも関係していると思います。
そのため、青年期に差し掛かるまでは、とりあえず大人の言うことを聞くという姿勢はほぼ無意識的に行われることが多くなります。(何らかの問題を抱えていて反抗的な態度を取っている子どももいますが、むしろ彼らは他の子どもたちより強く「大人が正しい」という期待を抱いているのではないでしょうか。)
批判力はひとつの能力です。批判をするためには、何が良くて何がおかしいと感じられるのか、それらを分析する力、また論理的に筋道立てて反論する力が必要です。それらは一朝一夕で身に付くものでもましてや生まれながらに備わっているものでもありません。
子どもが成長していく中で、周囲の大人の言動や姿勢から、少しずつ好ましい価値観を自ら形成し、学び続けるしかないのです。
そのためには周りの大人は、子どもに信頼される必要があります。
また、別の側面から見てみると、身近にいる大人を信頼している子どもは、大人の言うことを良く聞きます。逆に言えば、青年期に差し掛かるまでは、自分と深く関わっている大人―例えば、親、先生など―の言動を肯定的に捉えようと努力します。
あの父親を信頼して机から倒れ落ちた子どものように、間違うリスクよりも信頼の方を重視するのです。
そのため、子どもに関わる大人の責任は重大なのです。
子どもに何らかのメッセージを送るならば、それが大人として子どもたちから信頼されるに足るものか、子どもの良識を育む妨げになっていないか、十分に吟味する必要があるのは以上のような理由からです。