絵本といっしょに ~ちょびっとクラブ~

絵本をこよなく愛するメンバーによる、良質な絵本を楽しむクラブです。メンバーのひとり、Kの日々思うこと。

分からなくても分かっている



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前回、ファンタジーの持つ力について触れ、『はてしない物語』という本について少し紹介しました。

その時に書いた通り、現在進行形で毎晩、少しずつ楽しんでいます。

過去に読んだことがあるのに、実のところ、ある場面は概要だけ覚えていて、またあるエピソードは全く覚えていないという感じです。簡単な内容紹介は見たけれど今から初めて読む本、といった新鮮な気分で読み進めることができ、なかなか良いものです。

 

昨晩読んだ場面には、大人目線で見るとかなり重要なことが書かれていました。

しかし、私はその場面を全く覚えていませんでした。暗く、不気味で、子どもには恐怖心を感じさせるような場面であったため、覚えておきたくなかったのでしょうか…内容的にも難解で、表面的な流れを追っただけで、今ほど重要なメッセージが含まれていることには気付かなかったと思われます。

成人してからも一度通して読んだはずなのですが、「覚えていない」ということは、当時の私にとってはさして重要な箇所ではなかったということでしょう。

しかし、その場面の臨場感、登場人物の心の動き、そのようなものは読んでいる最中に感じ取っていたはずです。そしてぼんやりと「面白い本だった」という記憶がずっと残り続けるような気がします。

またある時にふと振り返り、「あの本を読んでおいて良かったな」と、具体的には何が「役に立った」のかは分からないのに、子どもの頃の自分に何がしかの影響を与えたことを感じるのです。

 

子ども向けの名作を大人になって初めて読み、「どうして子どもの頃にこれを読まなかったのだろう」と少し後悔することは珍しいことではありません。それは、その心の奥深くに届く物語のメッセージを大人になっていくつか読み取り、それが子どもの頃の自分にどのように届き、作用したかを知りたいということではないでしょうか。さらに、そのメッセージはきっと子どもの頃の自分に確実に作用し、より人生に深みを与えたに違いないと考えるからでしょうか。

あるいはもっと単純に、大人になった「今」の読み取り方と、子どもだった「あの頃」の読み取り方の違いを知りたいというだけのことかもしれません。

 

物語を読む時に、「内容を詳しく理解する」ことよりも「心を動かされる」ことを重視する人は多いと思います。

子どもにとって大切なことも、それと全く同じです。いや、むしろ、心を育んでいく幅が大人よりも大きな子どもにこそ大切な要素です。

このブログを読んでくださっている方々は、私と同じように考えていらっしゃることと思いますが、ことばの学習途上である子どもたちに対しては、物語を「理解する」ことを重視する場面が意外と多いものです。

どうか多くの子どもたちに、わくわくする物語との出会いが多く持てる環境を用意してあげたいと切に願うばかりです。