絵本といっしょに ~ちょびっとクラブ~

絵本をこよなく愛するメンバーによる、良質な絵本を楽しむクラブです。メンバーのひとり、Kの日々思うこと。

父さんがかえる日まで


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『父さんがかえる日まで』

モーリス・センダック  作

アーサー・ビナード  訳

偕成社

 

1983年に日本に紹介された『まどのそとのそのまたむこう』(脇 明子  訳、福音館書店。原題はOUTSIDE  OVER  THERE)の新訳です。

かいじゅうたちのいるところ』(1963年)『まよなかのだいどころ』(1970年)とならび、センダックの絵本の「三部作」のひとつです。(日本ではいずれも冨山房から刊行されています。)

ややコミカルな画風で、痛快な冒険劇風の先の2作と比べ、写実的かつ装飾的な絵柄とレイアウトは、本当に同じ作者によるものだろうかという雰囲気です。

 

今回は、この『父さんがかえる日まで』と、『まどのそとのそのまたむこう』とを読み比べ、私が感じたことをまとめてみたいと思います。

 

この絵本、センダック自身が推しているだけあり、良書との評判が高いのですが、正直、私は評価に迷うところがありました。

まず、この絵のリアルさがあまり日本では子ども受けする絵柄ではないということです。(好みは人それぞれですので、この絵が綺麗な絵だと分かる感性の持ち主の子どもももちろん大勢いるようです。)少なくとも私は子どもの頃、このような絵は苦手でした。大人からすると「端正な顔立ち」としか思わない絵が、子どもには「怖い顔」に見えてしまうのですよね…

中でも途中出てくる氷の人形の絵は子どもにはとても怖く感じられそうです。

絵のことはさておき、『まどのそとのそのまたむこう』を読んだ時、内容もちょっと気になる点がありました。

それは、主人公の少女アイダに過剰な責任を負わせている感じがしたからです。

彼女の母親は終始虚ろな表情で、全く頼りなさげです。さらに、物語のラスト近くに出てくる父親からの手紙にも母親のケアをしてやってくれ、と取れるようなことが書いてあるのです。

 

そもそも、この作品は、センダックが幼い頃に耳にした誘拐事件のトラウマから生まれた作品だと言われています。

この絵本の制作は、彼にとってそのトラウマを癒す助けになったことと思います。さらに、同じような不安な気持ちを抱えている子どもたちにとっても癒しの効果があったかもしれません。この絵本の熱烈なファンの存在がそれを物語っています。

しかし、私は、そのようなトラウマを抱えていない子どもたちにとっては、ただ不気味なだけの本になってしまうのではないかと思ったのです。

また、先に書いたように、主人公の少女に過剰な責任を負わせているように見えるため、トラウマを抱えた子にとっても、それが良いことなのかどうか、分からないと思いました。

つまり、「親が頼りなくても、君なら大丈夫。やっていけるよ。」と肯定的に捉えられれば良いのですが、「親がしっかりしてないから、君が大人のようにしっかりしなきゃ」と、呪いのメッセージを受け取りはしないかと心配になったのです。

 

そのように私にとって『まどのそとのそのまたむこう』は、非常に「難しい」絵本でした。

 

今回、アーサー・ビナード氏の訳でこの『父さんがかえる日まで』が出版され、私は期待を持ってさっそくこの絵本を読んでみました。

驚きました。旧版で気になっていた、主人公に対する過剰な責任を負わせている感じがなかったのです。

これなら多くの子どもたちに勧められると思いました。

 

一体何が違うのでしょうか。

まず、最初の方で虚ろな目をした母親の所につけられた文章が効いています。

「じっととおくを見つめながら」と書くことにより、母親の表情は虚ろなのではなく、意思を持って遠くを見据えているように感じられるのです。

それから、ラストに近い場面の父親からの手紙も、「母さんのこともだいじにね。」と書くに留まり、お母さんをよろしく頼む、という意味合いには取れません。

全体的に、脇明子氏の訳文に比べ、説明的で文章量が増えている印象です。

一般的には、絵本の文章は極限まで削ぎ落とされることにより味わい深くなることが多いのですが、補足的に文章が加わることによって、この絵本の持つ曖昧な不気味さが軽減され、むしろきちんと内容を味わえる気がしました。

物語のポイントとなる「まどのそとのそのまたむこう」という場所が出てくるシーンの文章の違いも、子どもたちには分かりやすい情景です。

 

それから、フォントも重要です。

くっきりとやや丸みを帯びた字体は、子どもたちに馴染みやすく安心感を与えるのではないでしょうか。

なぜかこの書体で書かれていると、決して不気味な話ではありませんよ、と伝えられているように感じられます。

 

ここまでの流れで、私は『まどのそとのそのまたむこう』を全く評価せず、『父さんがかえる日まで』の方が良いと考えていると思われるかもしれません。

もちろん、決してそうではありません。

脇氏の訳文は、先に書いたような、極限まで削ぎ落とされた選び抜かれたことばで書かれており、それはそれで美しい文章です。

また、子どもには曖昧で具体的ではないと感じられる表現も、ある意味文学的な味わいを与えてくれるものでしょう。

フォントも原書に近い装飾的な書体で、この繊細な絵にはぴったり合っているのかもしれません。

全体的にアーティスティックな印象で、さらに原書の詩のような文章に忠実な訳ですから、特に大人の読者においては旧版の方が好きだという声が多くても不思議はありません。

 

ただ、私は「より多くの子どもたちに勧められる本であるかどうか」という観点でこの絵本のことを考えてみました。

『まどのそとのそのまたむこう』は、まだ経験の浅い子どもたちにとっては、一般的に言って「難しすぎる」絵本だというのは間違いないと思います。

そこから何を感じとるか、それは一人ひとり違う絵本体験です。

しかし、その中で、いたずらに恐怖心や不安感を感じることなく、これからの人生を歩んでいくために何らかの肯定的なメッセージを受け取ることができた方が良いのではないでしょうか。

『父さんがかえる日まで』は、タイトルからして、具体的で明確です。

この新しい訳本は、子どもたちに素晴らしい作品と出会う機会を増やしてくれたのではないかと私は思います。